でんでんむしの絵本
•でんでんむしのかなしみ
新美南吉(文) 鈴木靖将(絵) 新樹社
•国語が楽しくなる新美南吉絵童話集(1) でんでんむしのかなしみ
新美南吉(作) 野見山暁治(絵) 星の環会
でんでんむしは、自分の背にある殻のなかに”かなしみ”がつまっていると気付きます。
「いっぱいつまっているではないか」
この”かなしみ”をどうしたらいいのか……生きていけない、と思うのです。
でんでんむしは、ともだちのところに行き、嘆きます。
ともだちが言います。
「あなたばかりではありません」
自分の背の殻のなかにも”かなしみ”がいっぱいだと言うのです。
尋ね行くともだちは皆、同じことを言うのです。
「”かなしみ”がいっぱいつまっているのです」
でんでんむしは、気が付きます。
わたしだけではない。「だれもが”かなしみ”をもっている」のだと。
でんでんむしは、「”かなしみ”をこらえていかなければならない」と、気付きます。
でんでんむしは、そして、嘆くことをやめるのです。
●1998年「国際児童図書評議会」において、当時の皇后さま(現在は上皇后さま)は基調講演をされました。そのなかで「でんでんむしのかなしみ」は子どものころに読んでもらい「深く心に残っています」とふれられています。
▷わたしは、あのかたつむりの渦巻の殻の中に「かなしみ」があると読んだとき、愕然としました。「えっ!」と思ったのです。思いもかけぬ一文でした。
でんでんむしが、これからは「こらえて」いくというのが、なんとも切ないです。
新美南吉
本名 新美正八(旧姓 渡邊)
愛知県知多郡半田町(現 愛知県半田市)出身
童話、童謡、詩、短歌、俳句、戯曲などの創作を行った。
雑誌『赤い鳥』出身の作家の1人。
●小学校から中学校卒業まで
1920年4月 1日 半田第二尋常小学校(現 半田市立岩滑小学校)入学
1921年7月28日 跡継ぎのなくなった実母りゑ(1917年11月4日 29歳で死去)の実家・新美
家と祖父の孫として養子縁組をする
1926年3月20日 半田第二尋常小学校卒業 成績優秀で答辞は自ら書きあげて発表
4月 5日 旧制愛知県立半田中学校(現 愛知県立半田高等学校)入学
1928年2月 校友会誌『柊陵』第九号に「椋の實の思出」童謡「喧嘩に負けて」掲載
•その後、様々な雑誌に作品を投稿するようになる
1929年5月 「張紅倫」を脱稿
6月 「巨男の話」を脱稿
9月 1日 同人誌『オリオン』発行(1930年1月1日の新年号(5号)で終刊)
•その後、日記帳に作品を書き始める
1931年 半田中学校卒業
•卒業直前、「赤い鳥童謡集(北原白秋 編)」を読んで感銘を受ける
その裏表紙に「一九三一・三・四 中学卒業式の前の日、現在地球上にこれよ
りすぐれた童謡集はないと思ふ。新美正八」と書き入れ、以後白秋に心酔した
●代用教員から大学卒業まで
1931年 代用教員に採用される
『赤い鳥』5月号に童謡「窓」が掲載
『赤い鳥』8月号に童話「正坊とクロ」が掲載
8月31日 代用教員を退職
9月 童謡同人誌『チチノキ』入会
•白秋の愛弟子 巽聖歌、与田準一と知り合う
12月 東京師範学校を受験するも不合格
•この年は、巽の紹介で白秋の自宅訪問し対面を果たす
1932年 『赤い鳥』1月号に童話「ごん狐」が掲載
4月 東京外国語学校 英語部 文科 入学
•白秋の指導で童謡を創作、『赤い鳥』に掲載される
1933年 白秋が鈴木三重吉(『赤い鳥』主宰者)と大喧嘩の末、絶縁
•南吉もこれに伴い『赤い鳥』への投稿をやめる
<1934年2月25日 喀血、療養>
1935年 巽からまわされた精文館の「幼年童話」の依頼に対し、
「デンデンムシノカナシミ」など50編のカタカナ童話を創作したが、無
名であるとの理由で出版されなかったが、
この経験は、大きな自信になったという
2月11日 『チチノキ』1年半ぶりに発行され、童謡、翻訳を発表する
5月 『チチノキ』廃刊
1936年 大学卒業
教員免許をとらなかったため、就職に苦労する
<1936年10月9日 二度目の喀血>
●教員時代
1937年 代用教員などの仕事をする
1938年 3月17日 中等教員免状取得
3月31日 安城高等女学校教諭心得の辞令
4月 4日 入学式 教員生活スタート
1939年 4月23日 外語学校時代の知人 江口榛一が哈爾濱日日新聞の文芸部に入社し、原
稿依頼をしてくる
「最後の胡弓弾き」「久助君の話」、詩が翌年まで掲載される
1940年 6月 9日 青森県の知人宅で恋人の中山ちゑが急死 葬儀で男泣きに泣く
1か月は腑抜け状態だった
この年は作品が次々に雑誌に掲載される
1941年10月 1日 「良寛物語 手毬と鉢の子」出版 2万部出版され印税が1,300円
1月4日から書き始め3月9日に脱稿した後から体調悪化
<1941年4月 腎臓病で10日あまり欠勤>
11月中旬 体調不良が続き、岩滑の実家にもどる
11月28日 早稲田大学新聞に「童話に於ける物語性の喪失」寄稿
<1941年12月 血尿 死を覚悟する>
<1942年1月 腎臓炎と診断 日記に死を覚悟した苦悩を綴る>
1942年3月~5月 「ごんごろ鐘」「おぢいさんのランプ」「花の木村と盗人たち」
「牛をつないだ椿の木」など童話を次々書き上げる
10月10日 はじめての童話集「おぢいさんのランプ」刊行 体調悪化
<1942年12月から喉が痛み声も出にくくなる>
11月 2日 北原白秋 死去
巽と与田から依頼され、白秋の追悼特集へ2篇の詩を書く
これを機に創作を再開 「耳」「小さい太郎の悲しみ」などを書く
●女学校退職 そして……
1943年 年明けから女学校を長期欠勤
2月10日 安城女学校を退職
<咽頭結核のためほとんど寝たきりになる>
2月12日 巽に原稿と病状を記した手紙を送る 遺言状も書く
驚いた巽は南吉の元を訪れ、対面 南吉の原稿の整理をする
3月20日 恩師 伊藤仲治の妻が見舞いに来る 南吉はほとんど声がでない様子で
「私は池に向かって小石を投げた。水の波紋が大きく広がったのを見て
から死にたかったのに、それを見届けずに死ぬのがとても残念だ」と
語った
3月22日 午前8時15分 死去 29歳8か月の生涯(実母も29歳で亡くなっている)
4月18日 葬儀 死去から1ヶ月後になったのは、死因が結核であったことと関係
が年度末で多忙であったため
法名「釈文成」 巽聖歌が寄贈した墓石の裏には
「法名 釈文成 俗名 正八 昭和十八年三月二十二日歿行年三十
一才童話詩小説の作家歿後声明高まる」と彫られている
9月10日 童話集「牛をつないだ椿の木」刊行
9月30日 童話集「花のき村と盗人たち」刊行
北の賢治と南の南吉
新美南吉と宮沢賢治の共通点
•地方で教師をしていた
•若くして亡くなった童話作家
ーそのため、ふたりは比較して語られることも多い
「北の賢治 南の南吉」
ふたりの作風
•賢治ー独特の宗教観、宇宙観で人を客体化、皮肉な筆致で著すことも
•南吉ー主観的、情緒的な視線で身近にある話を脚色したり膨らませる
宮沢賢治
•1933年(昭和8年)9月21日 死去
新美南吉は宮沢賢治と会ったことはないが、賢治のことを高く評価していた
1934年に「宮沢賢治友の会」に出席している
作品の舞台 主人公
•故郷の「半田市岩滑新田」が多くの作品の舞台になっている
•少年たちが主人公の作品ではー同じ学校・学年を扱っている
「久助君」「森医院の徳一君」など
•主人公はー「久助君」「大作君」など作品により変わるが、「徳一君」「兵太郎君」など
はほとんどの作品に登場して、作品の世界観をつなげる役目をしている
•「久助君」を主人公にした作品が最も多く、「久助もの」と言われている
新美南吉の絵本
おやすみまえのほん 百ぴきのくまさん
新美南吉、他(文) いわさきちひろ(画) 童心社
- いつのことだかどこのことだか(新美南吉・文)
- おなべとやかんとふらいぱんのけんか(村山籌子・文)
- 一ねんせいのこぶたちゃん(浜田廣介・文)
- おまえもたねのまくがいい(村山桂子・文)
- 百ぴきのくまさん(川崎大治・文)
小さなお話が5つ入った小さいサイズの本です。
3歳~6歳の子たちへ、お話してあげてください。
「いつのことだかどこのことだか」が新美南吉の作品です。
いつのことだかどこのことだか、広い広い原の中に一本の木が立っていた。馬でやってきた旅人たちは、旅の途中でこの木の下で一休みをするのが常だった。やがて、北の方から来た人がこの木のそばでまんじゅうを売りはじめた。旅人はまんじゅうを買い食べ、馬にも食べさせた。次いで、となりに宿ができた。鍛冶屋、魚屋、ランプ屋と商売をする人がふえていけば、自然とそこには……
ごんぎつね
新美南吉(作) 黒井健(絵) 偕成社
兵十の獲ったウナギやキスを川にもどした子ぎつねのごん。ごんはいたずらもの。
兵十のおっ母が死んだ。葬儀の日「赤い彼岸花が赤い布のように咲きつづいていた。人々が通ったあとは、彼岸花がふみ折られていた。いつも赤いさつま芋みたいな元気のいい兵十の顔が、今日はしおれていました」そうか、兵十のおっ母が死んだんだ。ごんは、兵十のおっ母はウナギが食べたいと思いながら死んだんだ。あんないたずらをしなけりゃよかったと思う。兵十もおれと同じひとりぼっちになった。
ごんは、イワシ売りのイワシを盗んで兵十の家に投げ込んで、一ついいことをしたと満足する。しかし、兵十がイワシの盗人とされてひどい目にあったことを知るとしまったと思う。
それから、ごんは栗やマツタケを兵十の家に投げ込み続ける。
手ぶくろを買いに
新美南吉(作) 黒井健(絵) 偕成社
きつねの住む森に雪が降りました。陽にキラキラと反射してまぶしい。子ぎつねは雪の反射を目に受けて、目に何かが刺さった思います。雪で手が冷たくなった子ぎつねは「お手々がチンチン」すると、母さんぎつねに訴えます。母さんぎつねは、子ぎつねのお手々にぴったりの毛糸の手袋を買ってあげようと考えます。夜になり町へと向かう親子。子ぎつねは星がずいぶん下にあると思うのですが、それは町の灯でした。子ぎつねにとって、町に来るのは初めてのことです。町の近くまで来たとき母さんぎつねは、人間に追われた恐い経験を思い出します。母さんぎつねは子ぎつねの片手をしばらく握り、人間の子どもの手にしてあげます。それから、手袋の買い方を教えます。子ぎつねはひとりで町の中へと進んでいき「黒いシルクハットの帽子の看板」のある店の戸を叩きます。一寸開いた戸から光の帯が広がります。その明るい光に面食らった子ぎつねは「このお手々にちょうどいいてぶくろください」と、間違った手=狐の手を差し出してしまいました。「おやおや、これは狐の手」だと、帽子屋さんは気付くのですが……
北原白秋
明治18(1885)年1月25日~昭和17(1942)年11月2日
熊本県生まれ、福岡県で育つ 本名 北原隆吉
詩人 童謡作家 歌人
「邪宗門」(明治42)「思ひ出」(明44) 詩壇の第一人者として活躍する
『赤い鳥』には創刊時より携わる
「赤い鳥小鳥」「あわて床屋」「からたちの花」など多数発表
互いの激しい気性から鈴木三重吉と衝突し、昭和8年 4月号を最後に『赤い鳥』と絶縁
生涯で1,200篇超の童謡を遺した
白秋の詩の絵本
ゆりかごのうた
北原白秋(詩) 高見八重子(絵) ひさかたチャイルド
やさしい子守唄の絵本。あたたかなページのなかで、ゆりかごのなかの赤ちゃんがしあわせに包まれている。かわいい動物たちも赤ちゃんを見守っている。
♪ゆりかごのうたを カナリヤがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ♬
(楽譜がついています)
この道はいつか来た道 (第一巻)
北原白秋(詩) 童話屋
「この道」「まゐまゐつぶろ」「赤い鳥小鳥」「砂山」「ペチカ」「待ちぼうけ」など44篇
の詩を収録。童謡として知られている白秋の詩ですが、純粋に”詩”として自分なりに味わってみると新しい発見があるかもしれません。
かへろが鳴くからかぁへろ (第二巻)
北原白秋(詩) 童話屋
「かへろかへろ」「五十音」「兎の電報」「あわて床屋」「雨ふり」「からたちの花」など51篇の詩を収録。曲のついていない詩は、あまり周知されていないようです。どうぞ、それらの詩にふれてみてください。白秋の凄みが一層の深みを増すことと思います。
巽聖歌
明治38(1905)年2月12日~昭和48(1973)年4月24日
岩手県生まれ 本名 野村七蔵
児童文学者 歌人
『赤い鳥』大正4年10月号掲載の「水口」が白秋に激賞され、門下に入る
南吉の死後、「おぢいさんのランプ」刊行のために奔走したことでも知られる
戦後は、児童詩教育に尽力し小学校国語教科書の編集に携わる
岩手県紫波郡紫波町立日詰小学校の校歌の作詞をはじめ全国の多くの校歌の作詞をしている
童謡「たきび」の作詞で著名
たきび
童謡「たきび」
作詞 巽聖歌 作曲 渡辺茂
昭和16(1941)年に詞が発表され、同年12月に楽曲が発表された。
歌詞中の「ぴいぷう」の単語は、北国出身の巽だからこそのものと指摘された。
平成19(2007)年には、「日本の歌百選」に選出された。
※日本の歌百選=平成18(2006)年に文化庁とPTA全国協議会が、親子
で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌・歌謡曲といっ
た抒情歌や愛唱歌を101曲選定
「たきび」のあるところ
当時、東京都中野区上高田に居住していた巽は、散歩途中にあるケヤキの大木などが植栽されている屋敷の風景をもとに詞を作った。
その場所には、中野区による「たきび」についての説明板があり、歌にある垣根は今もその風景を残している。
たき火の絵本
はじまりはたき火 火とくらしてきたわたしたち
まつむらゆりこ(作) 小林マキ(絵) 福音館書店
火とともに生きてきた私たち、人間。原始の人たちが見つけて利用してきた、火。現代にいたるまで、火は様々に形を変えて私たちを助けてきてくれた。発明がなされ、文明が発展していった。動力、電気、燃料など、私たちにとって欠かせないものになった。わたしたちはそれらを正しく利用してきたか。環境問題は今すぐに何らかの手を打たなければならない状態になっているのに……「火」のことを考えてみるいい機会を与えてくれる絵本です。
赤い鳥
童話と童謡の児童雑誌『赤い鳥』
鈴木三重吉が主宰
大正7(1918)年7月1日創刊ー昭和11(1936)年8月廃刊
途中に休刊もあったが、鈴木三重吉の死(1936年)まで196冊刊行
鈴木から見て低級な政府が主導する唱歌や説話に対し、子供の純性を育むための話や歌を創作し世に広める一大運動を宣言し『赤い鳥』を発刊した
創刊号には、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声らが賛同の意を表明した。
その後、菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風らが作品を寄稿する
鈴木三重吉
明治15(1882)年9月29日ー昭和11(1936)年6月27日
広島県生まれ
小説家、児童文学者
「日本児童文化運動の父」とされる
作品には「千鳥」「山彦」「千代紙」「湖水の女」など
「千鳥」は夏目漱石に原稿を送ったところ推薦を受けたことから、雑誌『ホトトギスに
掲載され、漱石門下となる
宮沢賢治は寄稿をするも、鈴木は賢治の作品を全く評価しなかった、という
表紙絵は清水良雄
明治24(1891)年8月4日ー昭和29(1954)年1月29日
東京生まれ、広島で歿す
洋画家、童画家
『赤い鳥』196冊中163冊を描いた
『コドモノクニ』にも多くの作品を提供
※『コドモノクニ』=大正11(1922)年1月から昭和19(1944)年3月まで、東京社(現ハースト
婦人画報社)から出版されていた児童雑誌
子供のために描かれる「童画」という絵画ジャンルの確立に寄与した
大正時代を代表する絵雑誌
「赤い鳥」(2020年3月11日取得)「ウィキペディア日本語版」を参照しました。
赤い鳥 青い鳥
新装版 学年別 赤い鳥
『赤い鳥』に掲載されていた作品を学年別の選別して編集したものです
赤い鳥 1年生
赤い鳥の会(編) 100%ORANGE(装画)
あかいとりことり(童謡)・北原白秋 おべんとう・島崎藤村 けが(童謡)・西條八十
おなかのかわ・鈴木三重吉 など全16篇収載
赤い鳥 2年生
赤い鳥の会(編) 市居みか(装画)
ぞうさん(童謡)・北原白秋 金魚うり・小川未明 ぶたの子(童謡)・与田準一
まほう・坪田譲治 など全10篇収載
赤い鳥 3年生
赤い鳥の会(編) 渡辺洋二(装画)
サザナミ(詩)・北原白秋 正坊とクロ・新美南吉 大時計・今井鑑三
とらとこじき・鈴木三重吉 など全16篇収載
赤い鳥 4年生
赤い鳥の会(編) ささめやゆき(装画)
ばら(詩)・北原白秋 くもの糸・芥川龍之介 空がある(詩)・与田準一
ごんぎつね・新美南吉 など全15篇収載
赤い鳥 5年生
赤い鳥の会(編) 唐仁原教久(装画)
海のむこう(詩)・北原白秋 一ふさのぶどう・有島武郎 遠い景色(詩)・与田準一
こぶし(詩)・巽聖歌 など全20篇収載
赤い鳥 6年生
赤い鳥の会(編) 杉浦範茂(装画)
からたちの花(詩)・北原白秋 ちゃわんの湯・寺田寅彦 風から来る鶴(詩)・与田準一
少年駅夫・鈴木三重吉 など全20篇収載
あおいとり
メーテルリンク(原作) 立原えりか(文) いわさきちひろ(絵) 講談社
木こりの家の兄妹、チルチルとミチル。クリスマスの前の夜に魔法使いのおばあさんに「病気の孫のために「幸せの青い鳥」を見つけて」と言われる。二人は鳥かごを持って出かけます。妖精の案内で「思い出の国」「夜の御殿」「ぜいたくの御殿」「未来の国」と行きますが、青い鳥を手にすることはできません。クリスマスの朝、お母さんに起こされた二人は鳥かごの中にあるものを見つけます。しあわせは、どこにあるのだろう?
鳥かごの中に……カタツムリがいる
どこにいるの? かたつむり
トミー・ウンゲラー(作) おおさわちか(訳) 長崎出版
表紙からはじまり、絵本の中にかくれているカタツムリをさがしてください。
いろいろなところに、いろいろいますから。
しめくくりは……
すきになりそう
いもとようこ(作・絵) 至光社
おじいちゃんにもらったカタツムリ。カタツムリって、キライなんだけどな。カタツムリにニンジンを食べさせた。そしたらウンチが、なんとオレンジ色だ。みどり色の葉っぱを食べたら、ウンチがみどり色だ。そして、すごいのがニンジンだ。カタツムリに食べられて、ボコボコなのに、葉っぱがどんどん育っていくぞ。キライなものたちではあるんだけれど、そのすごいところを見せられると、なんか気持ちが動いてきて……見方が変わってくるものですね。
かたつむりハウス
アラン・アールバーグ(作) ジリアン・タイラー(絵) おかだよしえ(訳)
評論社
おばあさんが三人の孫にお話を聞かせています。
小さくなってしまった孫たちは、かたつむりハウスで暮らし始めます。
「ぐらぐら大事件」りんごとキツネが引き起こす騒ぎです。
「おとうとが消えた事件」小さな弟が消えた。大変です。タンポポの綿毛が犯人です。
「おお! こわ事件」ツグミと猫が関係してきます。
いろいろ大変なことが続いてきましたが、三人はかたつむりハウスにお礼を言います。
すると……
夜の空にかかる月を最後に見上げる女の子。
カタツムリと鯨
ジュリア・ドナルドソン(作) アクセル・シェフラー(絵) 柳瀬尚紀(訳) 評論社
小さなカタツムリは、体液で岩に文字を書く。それは、銀色に光った。「のっけてくださいせかいいっしゅう」鯨が名乗りを上げてくれます。鯨のしっぽに乗っかって、さあ旅の始まりです。いろいろな国のいろいろなものを興味深く体験していきます。調子よくいっていたのですが、鯨が浜辺に打ち上げられて動けなくなってしまいます。元気な子供たちが勉強する学校がそばにあります。カタツムリは鯨を助けるために、頑張ります。小さな体で少しずつ進んで行くのです。学校の黒板にたどり着いたカタツムリがしたことは……
[新装版]科学のアルバム カタツムリ
増田戻樹(写真) 小池康之(文) あかね書房
カタツムリの不思議な生態や生活、カタツムリの様々な”なぜ”について、知ることができます。豊富な写真が、カタツムリの真実を見せてくれます。
カタツムリの先祖は海に住んでいたそうです。なぜ、いまは、陸にいるのか?
蝸牛がいっぱい
私が「カタツムリ」といって一番に思いつくのが、パトリシア・ハイスミスの短編です。
それまでは「アジサイの葉の上にいる小さなカタツムリに雨がしとしと降り…..」というイメージであったカタツムリでした。それが、この短編を読んでからは「カタツムリ→大繁殖→ふえる、ふえる」というイメージに変わってしまいました。私にとっては残念な生き物の方へ異動となりました。
「11の物語」
パトリシア・ハイスミス(著) 小倉多加志(訳) ハヤカワ・ミステリ文庫
短編集です。カタツムリの話は「かたつむりの観察者」です。
台所で食用のカタツムリを見つけた男が、カタツムリの観察をはじめる。カタツムリの繁殖がどんどん増えていくにつれての、男の状態の変化にお付き合いください。
ぜひ、読んでみてください。
パトリシア・ハイスミス
Patricia Highsmith (1921年1月19日ー1995年2月4日)
アメリカ生まれ スイスで死去
小説家
1950年 長編1作目「見知らぬ乗客」 ヒッチコックの監督で映画化
1955年 長編3作目「太陽がいっぱい」
1960年に映画化 監督-ルネ・クレマン 音楽-ニーノ・ロータ
出演-アラン・ドロン モーリス・ロネ マリー・ラフォレ
「太陽がいっぱい」
貧しい青年が、金持ちの男の金と恋人を奪うために、男を殺害する。それに気づいた男の友人までも殺害することになる。そして、望み通りのものを手にいれ、浜辺でチェアに寝そべりまぶしい陽を受けているところへ、青年の名を呼ぶアナウンスが流れてきて……
この映画の中で、アラン・ドロン扮する”トム”が、金持ちの男”フィリップ”のサインを習得するために、紙を貼った壁に映写機でフィリップのサインを写して、幾度も幾度も文字の上をなぞっているシーンがある。ラストとともに印象に残っているシーンです。音楽もよくて「太陽がいっぱい」と聞けばその音楽も一緒に思い浮かんできます。
それにしても、題名通りに太陽がいっぱいに降り注いでいたアラン・ドロンは素敵です。
監督のルネ・クレマンには「禁じられた遊び」という作品もありますが、この映画もまた、いいです。ラストの名前を呼ぶシーンがいいです。
太陽の絵本たち
太陽をかこう
ブルーノ・ムナーリ(作・絵) 須賀敦子(訳) 至光社
太陽についての科学的考察。また、芸術家たちがどんな太陽をどんな風に描いてきたのかをその絵を見て確かめてみましょう。そのあとは、自分で太陽を描いてみましょう。
太陽といっしょ
新宮晋(作) クレヨンハウス
太陽がいっぱいの空。自転車で森へ行こう。みんなと一緒にいたのに……一人になってる。あたりも変だ。変な感じだ。聞こえてくるのは、何だろう。恐竜がいるのか…まさか。日も暮れてきて、怖い。帰ろう、家に帰ろう、帰りたい。
太陽がくれる陽の輝きや、かげり。それは、元気にしてくれたり、不安を引き起こす元になることもあった少年のころ。
少年の顔は描かれていない。少年が陽に当たった影が足元に伸びている。少年が見た景色、いた場所の風景が描かれている。
太陽へとぶ矢
ジェラルド・マクダーモット(作・絵) 神宮輝夫(訳) ほるぷ出版
インディアンにつたわるおはなし
昔、太陽の神は命の力を一本の矢に変えて、大地に飛ばした。その矢がある村の娘に当たり男の子を授かった。成長した子は、父親がいないことで仲間はずれにされる。男の子は父親さがしの旅に出ます。トウモロコシ作りの男、つぼ作りの男に「僕のお父さんのところ」へ連れて行ってと頼むけれど、返事もしてくれない。矢作りの男にもそう問うたところ、その賢い老人はこの子の正体がすぐにわかった。そして、老人は矢を作るのだが、男の子がその矢になってしまう。老人はその矢を弓につがえて天空へと射る。天空では、太陽の神の父と息子が対面、喜びを分かち合う。父は息子に大地へ戻れ「人間の国に太陽の心を持っていくんだ」と言う。矢になって大地へと降りた男の子は……インディアンが太陽を神とした話。
グラフィックデザイナーの作者が描く絵が話に迫力を与えているようです。
太陽系探検 惑星とその果ての旅
イアン・グラハム(作) あかつかきょうこ(R.I.C出版)(訳) 大日本絵画
科学しかけ絵本シリーズ
火星、地球、月などを解説してくれている。探査機で星を調査する様子などを複雑なポップアップで制作している。太陽系を探索するための貴重な案内役となります。丁寧なお取り扱いをお願いしたい絵本です。
パトリシア・ハイスミスにちょっともどって
パトリシア・ハイスミスの趣味に「カタツムリの観察」があったそうです。
短編「かたつむりの観察者」の他にもカタツムリを題材にした作品があるそうです。
カタツムリには、なにかしらの魅力があるのは間違いないようです。
♬でんでんむしむしかたつむり……
と、わたしたちは歌ってきたんですものね。
※カタツムリは陸に住む巻貝の一種です。
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