🐸かえる

かえる

かえるの絵本

かえるの天神さん
日野十成(作) 斎藤隆夫(絵) 福音館書店

「北野天神縁起絵巻」の伝説。主演・かえるオールスターズで絶賛上演中。
菅原道真が”かえる”として登場します。藤原時平はフジワラガエルのお頭。
道真は時平の計略で追放され、死を迎えることになる。
無念なる道真は怨霊となり、京の都に舞い戻る。

北野天神縁起絵巻

「北野天神縁起」は、菅原道真すがわらのみちざねの一代記と死後の祟り、北野天神創建由来・霊験譚などを描いた絵巻。各地の天満宮に流布しているものです。
その中でも、制作された時期が最古で、国宝に指定もされているほどにその価値が評価されているのが、京都北野天満宮所蔵の「承久本」8巻(国宝)と「弘安本」(残欠2巻)です。
         (※残欠=書物などの一部分が欠けて不完全なこと。また、そのもの)

●「承久本」
詞書(ことばがき)に「承久元年己卯(つちのとう)今に至るまで」とあることから「承久本」と呼ばれる。

1~6巻ー道真の一代記、死後に天満大自在天と化したことで起こった出来事など
7・8巻ー日蔵にちぞう(10世紀の高僧)の六道巡り

本巻は、現存する絵巻物では最も縦幅が広く大きいものです。構図や描写は大胆・闊達・華麗。また、他の天神縁起のように、北野天神鎮座由来、霊験譚などは内容として含まれていない。

●「弘安本」
下巻の詞書に「弘安元年(1278)夏六月のころ」とあることから「弘安本」と呼ばれる。
また、土佐行光を筆者と伝える説もあることから「行光本」とも。
承久本とは違い、全体に淡彩で優美に描写されている。

日蔵
延喜えんぎ5年?(905年?)ー寛和かんな1年?(985年?) 延喜5年?(905年?)ー康保こうほう4年?(967年?)
生年についての詳細はなく、100歳以上生きたとの説もある。
平安時代中期の僧。道賢と名乗るが、後に日蔵とする。
冥途に行ったものの、蘇生した人物として知られている。

「扶桑略記」中の「道賢上人冥途記」より
日蔵は12歳で出家。金峰山きんぷせんの椿山寺、東寺で修行。
天慶てんぎょう4年(941年) 金峰山で無言断食の修行中の8月1日に息絶えたが、執金剛神しゅこんごうじんの化身と名のる僧が現れ、冥府六道に導かれた。そこで、太政天神となった道真と地獄で苦しむ醍醐天皇を目撃。地上の天皇への伝言を受け、教えられた帰路を辿り8月13日に蘇生した。

         (※六道=天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)

菅原道真

承和じょうわ12年6月25日(845年8月1日)ー延喜えんぎ3年2月25日(903年3月26日) (※( )内はユリウス歴)
平安時代中期(9世紀後期)の貴族で学者・政治家

宇多天皇 [ 貞観9年5月5日(867.6.10)ー承平元年7月19日(931.9.3)第59代天皇(在位887-897)]に重用された。

貞観19年(877) 文章博士。その後、讃岐守となる。
寛平  6年(894) 遣唐大使に任ぜられるも、遣唐使の中止を進言する。
昌泰  2年(899) 右大臣に任ぜられる。藤原時平は左大臣に。
昌泰  4年(901) 時平の讒言ざんげんにより、大宰府の大宰権帥だざいのごんのそちに左遷される。
        (※讒 言 =事実を曲げ、偽りをもって人を悪し様に言う。中傷。
        (※大宰権帥=令外官権官の一つ。大宰帥に代わって政務を行う。
             ”権”=「仮」ということで、臨時の意味合いが強く、左遷され
                た場合に任命されることがあった。
             •令外官(りょうげのかん)
                律令制下で令に規定されていない官のこと。
                関白、内大臣、中納言、参議、蔵人、検非違使など。
             •権官(ごんかん)
                令制(りょうせい)の規定外の官の一つ。
                仮にその官に任命された者。
延喜  3年(903) 大宰府にて薨去こうきょ。59歳。
                 (※薨去=皇族、三位さんみ以上の貴人の死去。薨逝こうせい)
                            

伝説

•「北野天神縁起」「「大鏡」巻二 時平伝」の説話に、御霊信仰(霊が神や雷神と化すという)からの考え方により「道真の死後の霊が天満自在天となり青竜と化し、時平を殺す」と述べられている。

•「飛び梅」「飛び松」などの伝説も多数ある。

•大宰府までの道筋には、地名の起源になる伝説などもある。
 
•東北・北陸には道真とのゆかりがなくとも、雷神が天神となり田の神として祀られている
 地域がある。  
 
•「一夜天神」「渡唐天神」などの伝説。

飛び梅

東風こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』
ー「春になり東風が吹いたら、梅の花の香を大宰府まで送ってくれ。私がいないからと、
  吹く風をわすれるなよ」

詞書に「流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて」とあり、大宰府への左遷の際に、家の庭にある梅の木に別れを告げた歌とされる。
この梅の木が、道真のいる大宰府へ飛んで行ったとされる「飛び梅」伝説。

• 歌の第5句について
 「忘れそ」と「忘るな」の2つのバージョンがあり、どちらが正しいかの論争がある。

• 桜と松も…道真の邸宅の庭には桜の木と松の木もありました。
1. 梅の木は、一夜のうちに飛んで行き大宰府に降り立った。
 桜の木は、悲しくて悲しくて、あっという間に落葉し枯れてしまった。
 松の木は、飛んだものの力が尽きて、摂津国八部郡板宿近くの丘に降り立った。
    →「飛松伝説」 
2. 能楽では
 桜の木は、道真が梅の木には歌を遺して自分には気遣いをしてくれなかったことを寂しく
 思うのと、別れをも悲しんだことで枯れてしまったのでした。それを漏れ聞いた道真は、
 「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらん」と詠んだという。すると、
 ”つれない”と言われた松は、大宰府へ飛んできたそうです。
    →これを「老松(追い松・生い松)」という。
    (※「飛び梅」「老松」は太宰府天満宮で末社の神として祀られている)

•承久本の詞書ことばがきのなかの叙述
「東風吹かば……」の歌の段の結びに「さて、この御歌ゆへに、つくしへこの梅はとびてまいりたりとぞ申侍るめる」と、承久本に加筆されている。このことから、「飛梅伝説」の始まりがここにあるともいえるのではないか。

梅が枝餅

福岡県太宰府市で販売されている餅菓子(焼餅)。
小豆餡を薄い餅の生地でくるんで焼く。”梅”の焼き印が入る。

「天神さまの日」
  誕生日と命日が25日であることから、毎月の25日がこの日です。
  月に一度、ヨモギ入りの緑色の梅が枝餅が販売されます。

  また、毎月17日は、古代米入りの紫色の梅が枝餅が販売されます。
   (九州国立博物館の開館を記念する「きゅうーはくの日」に因む)

•梅が枝餅の始まりは…いろいろあります
1. 安楽寺の門前で餅を売っていた老婆が、気落ちしている道真に餅を供したところ、大好物
 になった。老婆は道真の死後、餅に梅の枝を添えて墓前に供えたことが始まり。
2. 軟禁状態の道真の住まいの窓格子に届かなかった老婆は、梅の枝に餅を刺して格子から差
 し入れたとされ、絵巻にも残っている。
3. 道真の世話をしていた浄妙尼(尼僧)が、梅の枝に巻き付けた餅を届けた。

    菅原道真
    (2020年3月11日15:57 UTC版)『ウィキペディア日本語版』を参考にしました。

天神

民間伝承では、菅原道真は死して天神(雷神)になったとされる。

風神雷神図屏風

俵屋宗達「風神雷神図屏風」(国宝)(建仁寺蔵)  
風袋を持つ風神、天鼓をめぐらした雷神 が画面の両端に描かれる構図。    

これを尾形光琳が模写、その光琳の模写を酒井抱一が模写しているが、いずれも名品。  

宗達の「風神雷神図屏風」は「北野天神縁起絵巻(弘安本)」中の「清涼殿落雷の場」の図  様を借りたものとされているほか、三十三間堂の「風神・雷神像」の影響も指摘される。

雷神
• 「らいじん」「いかづちのかみ」ー日本の民間信仰や神道における雷の神。
    「雷様」「雷電様」「鳴神(なるかみ)」「雷公(らいこう)」

• 「桑原(くわばら)」  
道真の霊が雷神となって都に大惨事を引き起こしたが、道真の領地の「桑原」には落雷しなかったということから、その地名の「くわばら、くわばら」と唱えるのが、雷からの難を逃れるための文言とされてきた。

• 雷の姿
雷として描かれる姿としては、牛の角、虎の皮のふんどし、太鼓(雷鼓)を打ち鳴らすが定番
「牛と虎」がでてきましたが、鬼門は「うしとら=丑寅」の方角(北東)を表すところから。

• 火雷神
天から降りてきた雷の神。雨とともに起こることから「農耕の神」でもある。

清涼殿落雷の場

延長8年6月26日(930年7月24日) 場所 : 平安京・内裏の清涼殿
この日、この年は干害が続いているため、雨乞を行うか否かの会議が清涼殿にて開催。
午後1時頃、愛宕山上空から湧き出した黒雲は、瞬く間に平安京を覆い尽くした。猛烈な雷雨。やがて、清涼殿の南西の第一柱に落雷。火災が発生し、負傷しながらも逃げ惑う人々。が、まずは醍醐天皇を安全な場所へ移動させることが一番の事。しかし、常寧殿には逃れたものの3か月後に天皇は崩御。

藤原清貫ふじわらのきよつら
 このときの惨事で薨去。
 清貫は、「昌泰の変」に関わったとされ、時平の命で道真の動向を監視していた。
 このため、道真の怨霊により殺されたとの噂が広まっていった。
  
 ※昌泰の変=昌泰4年(901年1月)
       時平の讒言により、醍醐天皇が道真を大宰府へ左遷。
       道真の子らを左遷、流罪にした。

「清涼殿落雷事件」での惨状やその後の天皇、公卿、官人らに起きた凄まじい現実が、「道真の怨霊が雷神となった」との伝説が流布するきっかけとなった。 

火雷天気毒王からいてんきどくおう 
 眷属第三の使者。「北野天神縁起絵巻」では、天鼓を打ち鳴らす雷を起こす鬼神で登場。
 (※眷属=眷属神としての眷属は、神の使者。その神と関連する動物、想像上の動物など
         で、超自然的な存在とされることもある。狐、龍など。「神使」と呼ばれる)
 

道真の死後の復権

延喜6年(906) 嫡子高視たかみは赦免、大学頭だいがくのかみ(律令制で大学寮の長官、従五位上に相当)に復帰

延喜8年(908) 藤原菅根、病死。
延喜9年(909) 藤原時平、病死。39歳だった。 
延喜13年(913) 右大臣・源光みなもとのひかるが鷹狩の最中に泥沼で溺死。遺体は上がらなかった。
延喜23年(923) 醍醐天皇の皇子で東宮の保明やすあきら親王が薨去。21歳だった。

延喜23年4月20日(923年5月13日) 
醍醐天皇は、道真を従二位大宰員外師から右大臣に戻し、正二位を追贈する詔を発し、道真追放の詔を破棄した。

延長3年(925) 皇太子に立てられた(保明親王の第一王子)慶頼よしより・やすより王が5歳で夭逝。

• 保明親王(延喜3年-延喜23年)と慶頼王(延喜21年-延長3年)は時平と血縁があり、この二人の死もまた道真の怨霊によるものとされた。
(次に保明親王の同母弟・寛明ゆたあきら親王(朱雀天皇-日本の第61代天皇)が皇太子となった)

延長8年(930) 朝議中の清涼殿に落雷(清涼殿落雷事件)。
• 藤原清貫など朝廷要人に多数の死傷者が出た。醍醐天皇はこの惨状を見て病臥し、3か月後に寛明親王に譲位、7日後崩御した。
これもまた、道真の怨霊によるものとされた。

天歴元年(947) 道真は、北野社(北野天満宮)に神として祀られるようになった。

一条天皇の時代には、道真に対する神格化がさらに進んだ。
正暦4年(993)6月28日 道真に正一位左大臣。
正暦4年(993)閏10月20日 道真に太政大臣。   
          (※贈=官位を表す語について、死後に賜ったものである意を表す)
    

天神信仰

日本における天神(雷神)に対する信仰。特に、菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のこと。
本来、天神とは国津神に対する天津神のこと。特定の神の名ではなかった。
しかし、道真の没後「天満大自在天神」という神格で祀られ、清涼殿事件が起きて、北野の地に祀られていた火雷神と怨霊が併せて考えられ「火雷天神」と呼ばれるようになった。
後に、火雷神は眷属として取り込まれ、新たに「日本太政威徳天」などの神号が確立し、さらに「実道権現」などとも呼ばれた。
「渡唐天神」「妙法天神経」「天神経」など仏教でも崇敬を受け、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。

平安時代末期から鎌倉時代にかけては、「怨霊」として恐れられることは少なくなった。
この頃の「天神縁起」によれば「慈悲の神」「正直の神」「冤罪をはらす神」「芸能(和歌・連歌)の神」「現世の長寿と来世の極楽往生に導く神」として信仰されるようになった。貿易商には「海難除けの神」、皇族・武将には「怨敵調伏」「戦勝祈願」「王城鎮護」の神として信仰された。

江戸時代以降は、「学問の神」として寺子屋で信仰された。

近代になると、天皇への忠誠心を説くために、道真は”忠臣”として教科書に掲載。


     「天神信仰
     (2019年8月27日 15:36 UTC版)『ウィキペディア日本語版』を参考にしました。

国津神(くにつかみ)
天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)。地に現れた神々の総称。
        大国主(オオクニヌシノカミ)など

天津神(あまつかみ)
高天原(たかまがはら)の神、日本の国土に降りてきた(天降あまくだった)神々。
        天照大神(アマテラスオオミカミ)など

(※天孫降臨=記紀(古事記と日本書紀)によれば、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に天壌無窮神勅を発した。瓊瓊杵尊は、三種の神器を与えられ、天児屋命(アメノコヤネノミコト)などの神々を共に(途中には猿田毘古神サルタヒコノカミの案内あり)、高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に天降った、という。
• 天壌無窮=天地と共に永遠に続くこと。
• 神勅=神のお告げ、命令。
• 三種の神器=八咫鏡やたのかがみ草薙剣くさなぎのつるぎ八尺瓊勾玉 やさかにのまがたま             

日本三大天神

菅原道真を祭神とする「学問の神」の天神社
代表的な三社として
亀戸天満宮(東京都江東区) 北野天満宮(京都上京区) 大阪天満宮(大阪府大阪市北区)

また、こちらの三社を「三大天神」とする説もある。
北野天満宮(京都上京区) 太宰府天満宮(福岡県太宰府市) 防府天満宮(山口県防府市)

道真と牛

菅原道真の出生年 承和12年(845年)は、丑年。

「左遷時には、牛が泣いて見送った」
「牛に乗り大宰府へ下った」
「牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」
「牛が刺客から道真を守った」
「太宰府天満宮にある道真の墓所の位置は、牛が決めた」

このように、道真と牛に関する伝承や縁起が多くあるため、牛は天満宮において神使しんし(祭神の使者)とされ、臥牛像が置かれている。

ちょっと、ヨリミチ 絵本

ここでちょっと寄り道して、絵本の散歩をしてみませんか。

清涼殿落雷事件のあった日 6月26日

1284年6月26日のこの日。
ドイツ・ハーメルンにおいての出来事。
笛を持ち色とりどりの服を着た男が、ネズミの大群に困り果てた住民らとネズミ退治を報酬と引き換えに請け負った。男は笛を吹き、ネズミの大群をヴェーザー川へと移動させ溺死させた。しかし、住民らは男との約束を果たさずに報酬を支払わなかった。男は怒り町を出ていったが、6月26日に町に戻って来た。大人たちが教会にいる間に笛を吹き通りを歩いた。それにつられた子どもたちが130人、男について町から出て行き山の洞穴の中に入っていった。洞穴はふさがれ、男も子どもたちも二度と戻ってくることはなかった。

グリム兄弟など多くの作者によりこの出来事が物語として、現在まで伝承されてきた。

『ハーメルンの笛吹き男』の絵本いろいろ

ハーメルンの笛吹き男』 
 グリム兄弟(作) リスベート・ツヴェルガー(絵) 池田香代子(訳) BL出版
    
 リスベート・ツヴェルガーの絵が醸す雰囲気と奇妙なグリム童話の世界。
 静かに楽しんでください。
    


『ハーメルンの笛ふき男』
ロバート・ブラウニング(作) ロジャー・デュボアザン(絵) 長田弘(訳)
童話館出版

19世紀のイギリスの詩人・ブラウニングの「ハーメルンの笛ふき男」の物語です。
ブラウニングの作品ではこの出来事が起こったのは、1376年7月22日となっています。ハーメルンの市長は、男と金貨1000枚を約束してネズミ退治を依頼したのです。しかし、約束を
破り子どもたちは消えてしまったのです。

ブラウニングのこの作品が、これまでの『ハーメルンの笛吹き男』を扱った物語の中では、一番有名で一番愛されてきたのだそうです。


『ハーメルンの笛ふき』
サラ・コリン、ステファン・コリン(作) エロール・カイン(絵) 金関寿夫(訳) 
ほるぷ出版


エロール・カインの緻密で豪華な絵。見ていると、中世のハーメルンへと入り込んでしまいそうになる。笛吹き男は何をして、子どもたちはどうなったのか。本当は何が起きたのか。


『ハーメルンのふえふき』
グリム(原作) いもとようこ(文・絵) 金の星社


笛吹き男は約束を守って、ネズミ退治をしました。しかし、ハーメルンの人たちは男との約束を守りませんでした。そして、起きた悲劇は取り返しのつかない代償をもたらしました。


日本では

長谷川平蔵の命日が6月26日。

長谷川宣以 延享2年(1745)ー寛政7年5月19日(1795年6月26日)
江戸時代の旗本、火付盗賊改方の長を8年間務めた。家督相続後に父・長谷川宣雄と同じ「平蔵」を通称とした。
池上正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の主人公・鬼の平蔵”鬼平”のモデルです。
多くのファンがいる作家であり、作品ですね。
(「その頃、徳川幕府は……」と、渋いナレーションで始まるTVドラマ「鬼平犯科帳」。いいですね~。池波正太郎さんは自作が芝居にされる時、時代考証を大事にされると聞きました。ジプシー・キングスの音楽が流れるなか、四季が巡っていくエンディングもいいです。最高に素敵な作品ですね! )

生まれ年は延享3年ともされているようです。
命日については、菩提寺に残る記録には亡くなったのは5月10日とあります。すぐには喪を発せずに御役御免の許可を得た後の19日に喪を発したために5月19日が命日となっているようです。 菩提寺の戒行寺(東京都新宿区須賀町)に供養碑があります。

“鬼平”の住居にその後にすんだのが、”遠山の金さん”です。

遠山景元 寛政5年8月23日(1793年9月27日)ー安政2年2月29日(1855年4月15日)
江戸時代の旗本。”金四郎”は実父と同じ通称。官位は従五位下大隈守、左衛門少尉。
江戸北町奉行、大目付。後に江戸南町奉行。
TVドラマ「遠山の金さん」「江戸を斬る」の主人公のモデルです。

“鬼平”と”遠山の金さん”の二人の住居だったという場所が、東京都墨田区にあります。

鬼平も遠山の金さんも、青年の頃は放蕩三昧だったようです。
遠山の金さんのお白洲での桜吹雪は、皆さんご存知と思います。
桜の彫り物がどのようなものだったのか、本当にあったのか、諸説あるようです。

鬼と桜

鬼平の鬼、遠山の金さんの桜吹雪にこじつけてみました。
鬼と桜の絵本をご紹介します。

鬼さんこちら

鬼の子ダボラ
高橋忠治(作) 村上勉(絵) 佼成出版社


鬼のお父さんがおばあさんに、自分の子を育ててくれるように頼んだ。小さな小さなダボラはかわいくて、村の人たちの人気者になった。お父さんとの約束は13年。その13年目に突然ダボラは大きく立派な鬼になった。約束があるので、ダボラは泣く泣く山へと帰った。ダボラは笛を吹いた。その音色は村に豊かな実りをもたらし、子どもたちを安らかな眠りへといざなった。しかし、京の都ではダボラが恐ろしい鬼だと噂されていた。そして、ダボラを退治するために侍たちがやって来るのです。


ゼラルダと人喰い鬼
トミー・ウンゲラー(作・絵) 田村隆一、麻生久美(訳) 評論社


子どもたちを朝食に食べてしまう人喰い鬼。町の人たちは、鬼から守るために子どもたちを隠してしまいました。子どもたちがいなくなって空腹の鬼は、町へお父さんの代わりに作物を売りに行く途中のゼラルダに襲い掛かりますが、空腹すぎて岩から落ちて気絶。ゼラルダは悪者とも知らずに世話をやき、売るための作物で得意の料理を作ってあげます。鬼は黄金をやるからと城へと誘います。ゼラルダのおいしい料理に鬼の思惑は、どうなるか……


人くい鬼
グリム(原作) こみねゆら(文・絵) あすなろ書房

お妃さまは、金のゆりかごを海へと流します。ゆりかごの中には赤ちゃん。赤ちゃんの無事を願ってのことです。しかし、ゆりかごが流れ着いたのは、人喰い鬼の島です。少女になった今、泣いてばかりの日々。そこへ王子さまが現れ一緒になろうと約束します。鬼の三つの宝を持って逃げたところを、鬼のおかみさんが追ってきます。二人は……


桜舞い散る

さくらの谷
富安陽子(作) 松成真理子(絵) 偕成社

不思議な谷のことです。
林の木は枯れています。ふと見た谷に、桜が満開に咲いています。歌声がします。それは鬼たちの歌声です。わたしは、鬼たちに誘われて花見に加わります。広げられているお重の中のごちそうは、子どもの頃にお母さんが運動会の時に作ってくれたものとそっくり。
鬼のかくれんぼが始まります。最後の鬼の角につかまったわたしが、かくれんぼのオニ。林の中を鬼たちを探してまわるけれど、いっこうに鬼が見つかりません。不思議な気分です。でも、いま、あの木の後ろに隠れたのは、わたしのおばあちゃん、お父さん、お母さん……
この世を去ったみんなは、この谷に、桜が満開の谷にいた……
風が吹き、桜の花が散る。そして、わたしは林の中にいた。満開の桜は消えていたが、ヤマザクラのつぼみがふくらんでいるのを見つけた。


あたま山
舟崎克彦(作) 林恭三(絵) そうえん社


ケチな男がサクランボの種まで食べてしまいます。すると、頭から木が生えてきます。満開になったその桜で、人々は花見を始めます。うっとうしくなった男はその木を抜いてしまします。すると、降った雨水がたまって池になります。今度はその池で釣りを楽しむ人々。
男は忍耐が切れて、その池に飛び込んでしまいます。
江戸落語「頭山」、上方落語では「さくらんぼ」という演目からのお話です。


醍醐天皇

元慶9年1月18日(885年2月6日)ー延長8年9月29日(930年10月23日)
第60代天皇 宇多天皇の第一皇子

延長8年6月26日(930年7月24日) 清涼殿落雷事件において体調を崩す。
     9月22日 皇太子寛明親王(保明親王の同母弟)に譲位。
     9月29日 出家。その同日に崩御。宝算46。
           (※宝算=天子を敬い、その年齢をいう語。聖寿、聖算、宝寿)
 

醍醐味の醍醐

「醍醐」とは、
五味=牛や羊の乳を精製した、濃厚で美味な液汁とされる。
乳→酪→生酥→熟酥→醍醐の順で精製されていき、最後の段階で一番の美味とされる。
如来の最上の教法にもたとえられる。
醍醐のたとえとして「バターのようなもの」などといくつかのものにたとえられてきたが、実体は判然としていない。

「醍醐味」とは、
醍醐はもともと「涅槃経」が他の経典より優れていることを表した言葉であった。
大般涅槃経だいはつねはんぎょう」(涅槃経)のなかに、
涅槃経では、牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す。とあり、仏教では「五味相生の譬ごみそうしょうのたとえ」という。
仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅しゅたらを出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃経を出す。とあり、これが醍醐味の語源として仏教以外でも広く一般に知られるようになった。
        「醍醐」(2020年3月2日 23:36 UTC版)「ウィキペディア日本語版」より

「醍醐味」の意味として、
•物事の本当の面白さ、深い味わい、神髄。
•美味の最上のものとされ、仏陀の最上の教法のたとえとされる。

「バター」

醍醐はバターのようでもあるということから、虎がバターになるお話。
ちびくろ・さんぼ」を取り上げてみます。

スコットランドの児童文学作家、絵本作家の
ヘレン・バンナーマン (Helen Bannerman 1862年2月25日-1946年10月13日)の作品。
この作品は、手作りの本として誕生しました。
1899年にイギリス  グラント・リチャーズ社より刊行。
初版本は文も絵もバンナーマン自身によるもので、本のサイズは小さなものだった。

この作品は著作権がないとみなされ、アメリカでは内容の変えられるなどした海賊版が多く出回った。

日本では、岩波書店が1953年に「ちびくろ・さんぼ」を刊行。
底本は、アメリカ  マクミラン社版の「LITTLE BLACK SANBO」(絵はフランク・ドビアス)で、絵のレイアウトなど訳者の光吉夏弥氏により改変されている。
日本でも多くの海賊版が出版された。
1988年、アメリカでの黒人の公民権運動が高まり、その流れがこの作品を「人種差別」に当たると抗議・批判をした。これを受けて該当出版社全てが「ちびくろ・さんぼ」を絶版扱いとした。

1999年、「ちびくろさんぼのおはなし」(訳・灘本昌久 径書房)が刊行された。
この作品は、バンナーマンによる原作の日本語版。バンナーマンの原文がそのままに翻訳され、絵もバンナーマンによるものになる作品。
バンナーマン(文・絵)の「ちびくろサンボ」が初めて日本で出版されたととなります。
径書房からは、英語での完全復刻版も刊行されています。
2008年、米版の「LITTLE BLACK SANBO」(岩波版の原書となった作品)を完全に再現した「ちびくろサンボ」を径書房が刊行。


ちびくろサンボ
ヘレン・バンナーマン(作) フランク・ドビアス(絵) 径書房


男の子のちびくろサンボは、新しい服を着てジャングルをお散歩。トラが現れて食べられそうになると、男の子は服を差し出します。トラは服を受け取り「おれが一番えらいんだ」と帰っていきます。次々にトラが来て、男の子から服や靴や傘を奪っていきます。男の子は泣きながら歩きだしましたが、トラがケンカをしているのを発見。「自分こそが一番えらい」と、もめているそばに男の子の服などが置かれています。男の子は奪われたものを取り返すことができました。トラはというと、木の周りをグルグル回ってケンカ中。見ていると、回り過ぎた4頭のトラは、なんとバターになってしまいました。男の子はバターを持って帰ります。粉や卵にトラのバターをいれて、お母さんはホットケーキを作りました。お父さんも一緒に3人で黄色と茶色に焼きあがったホットケーキをお腹いっぱい食べました。

一条天皇

天元3年6月1日(980年7月15日)ー寛弘8年6月22日(1011年7月25日)
日本の第66代天皇 在位 寛和2年6月23日(986年8月1日)ー寛弘8年6月13日(1011年7月16日)
円融天皇の第一皇子

寛弘8年(1011年)5月末  病が重篤化。
         6月13日 皇太子居貞親王(三条天皇)に譲位、太上天皇に。
         6月19日 出家。
         6月22日 崩御。宝算32。

命婦のおとど

一条天皇の皇后定子に仕える清少納言や中宮彰子に仕える紫式部、和泉式部などにより、平安女流文学が隆盛を極めていくことになった。
一条天皇も詩文を物するなど文芸にも関心を持つ。笛などもこなした。人々にも慕われる人物であった。
また、一条天皇は愛猫家でもあった。猫に「命婦のおとど」と名付けて五位の位階を与えていた。このことは、「枕草子」「小右記」に記述されている。
 ※小右記(おうき、しょうゆうき)=平安時代の公卿 藤原実資さねすけの日記。全61巻。
                 野宮大臣(実資のこと)の日ということ。 
 ※命婦(みょうぶ)=律令制下で従五位下以上の位階(₌貴族)を有する女性、または官人の
            妻の地位を示す称号。 

ねこ ねこ こねこ

“命婦のおとど”さんが出てきたってことで、ちょっと他のねこさんたちのお話をどうぞ。


ねこのさら
野村たかあき(作・絵) 柳家小三治(監修) 教育画劇

いいものを安く買い、高く売るのが仕事の「道具屋さん」が、商売の旅の途中で茶店に入りました。奥を見ると、そこでは猫が皿からエサを食べています。が、その皿がとても高価なものだと気づいた道具屋さん。店主に猫を3両で引き取らせてくれと頼みます。そして、猫は皿が変わるとエサを食べなくなるかもしれないから「その皿も持って行く」と、言い出します。すると店主は、「皿は300両の名品ですから」と断ります。店主が皿の価値を知っていたことに驚いた道具屋さん。ではなぜ、そんな皿で猫にエサをやっているのかと問いますと、店主の答えるのには……

落語のお話です。最後はニヤリとなってしまいます。


猫の事務所
宮澤賢治(作) 小林敏也(画) 好学社

軽便鉄道の停車場の近くにある猫の第六事務所。猫の歴史と地理を調べる所。第一から第四までの書記がいます。順に、白猫、トラ猫、三毛猫、かま猫。かま猫はかまどの中で眠るので煤で汚れてしまい、他の猫に嫌われます。所長の黒猫は優しいのですが、白、トラ、三毛の三匹はかまをいじめます。かま猫が風邪で休んだ日、三匹は所長のウソを吹き込みます。かま猫が出勤してくると、所長も三匹も完全無視を続けます。かま猫はつらくて泣きだします。泣いて泣いて、泣き続けるのです。その時、獅子が現れて……
 


どんぐりと山猫
宮沢賢治(作) 高野玲子(絵) 偕成社

一郎に山猫からハガキです。「めんどなさいばん」をするから「おいでんなさい」と。
一郎は翌朝出掛けます。谷川に沿った道を歩きながら、栗の木、滝、きのこ、リスに山猫のことをたずねて行きます。やがて着いた森の真ん中に男が立っています。ハガキを書いた男でした。男はハガキの文面の良し悪しについて一郎に、はにかみながらきいてきます。一郎はそつなく相手をしてやります。そして、ついに山猫に会い裁判が始まります。「どんぐり」の裁判です。「どんぐりの中でだれが一番えらいのか」を争っての裁判です。長く続いた裁判のケリをつけたのが一郎なのです。山猫は一郎にお礼として「金のどんぐり一升」と「塩鮭の頭」のどちらがいいかとたずね…、次の裁判に出てもらうときに「出頭すべし」と書いてもいいかといってくるのですが…


100まんびきのねこ
ワンダ・ガアグ(作・絵) 石井桃子(訳) 福音館書店

おじいさんとおばあさんは「さびしいなあ」と思い、猫を一匹飼うことにしました。おじいさんは、長いみちのりを歩き歩き、猫がたくさんいる丘を見つけました。そこには、一兆匹の猫たちがいました。おじいさんは、どれもかわいくて全ての猫を連れ帰ります。そして、家におくことにする一匹の猫を、猫たちに決めさせることにするのです。その結果は……

長い間、愛読されてきた絵本です。読んだ後でその理由がわかるのです。


かえるにかえる カエルの絵本

ここで「かえる」の絵本のご紹介にかえる(帰る)ことにします。

かえるもいろいろ

バスガエル
戸田和代(作) シゲリカツヒコ(絵) 佼成出版社

「バスガエル」はカエルたちのあこがれの職業。自慢ののどをきかせられるので、みんななりたいのです。おたまがいけのカエルたちは求人に応募します。クコもバスガエルになりたい一人です。クコはケンカをしてしまったお母さんのことも気になるけれど。バスガエルになれるのか、どうか。
色艶とフォルムがインパクト大のカエルたちがいっぱいの絵本を楽しんでください。
 


かえるとカレーライス
長新太(作・絵) 福音館書店

かえるが住む池のそばに山があった。あるとき、その山がカレーを噴き出した。山がカレーライスになってしまいました。かえるは、カレーライスが大好きです。そして、もちろん、かえるは……


かえるのそらとぶけんきゅうじょ
村上勉(作) 偕成社

大きなどんぐりの木がありました。そこには、かえる、あまがえる、とかげが住んでいました。どんぐりの木の葉っぱを「毛むくじゃら」が食べ始めました。かえるたちは、葉っぱがなくなってしまうのではないかと心配です。「端っこの方を食べて」とお願いはするのですが。その「毛むくじゃら」が飛び立っていくのを見たかえるは、あることを思い立ち、研究に没頭し始めます。空を飛ぶこと。失敗しても挫けずあきらめない、かえるです。


てがみをください
山下明生(作) むらかみつとむ(絵) 文研出版


ぼくの家の赤い郵便箱。その郵便箱にもぐりこんだかえる。中を白いペンキで塗っている。かえるはぼくに来たハガキを勝手に読んでしまった。そのことでぼくとかえるはケンカをした。かえるは自分に手紙が来る方法を教えてくれという。ぼくは「手紙をください」って書けばいいと教えてあげる。かえるは手紙がくるのを待つのだが、なかなか来ない。とうとうかえるは、この郵便箱から出て行ってしまう。「この家は手紙に好かれていない」からと。
ぼくが、郵便箱の中に見つけたものは……、そしてぼくは、かえるに手紙を書く。


かえってきたカエル
中川ひろたか(作) 村上康成(絵) 童心社

みんなでアマガエルを飼うことにしました。名前はみどりちゃん。みどりちゃんのエサをさがしに、みんなで雨の中へ。園に残った園長先生が、みどりちゃんを逃がしてしまします。いろいろなエサをあつめたみんなが帰ってきます。先生はみんなに逃がしたことを謝って、一緒にみどりちゃんをさがすのですが。そのみどりちゃんを先生の頭の上で発見! みどりちゃんめがけてみんなでジャンプ! 


かえるのあまがさ
与田準一(作) 那須良輔(絵) 童心社

童謡をなぞるようなリズムのある文章ですすんでいきます。
お池のあめふり ぴち ぱた ぽん 
かえるは、ハスの葉の雨傘の店をオープン。
かえるたちは、買った雨傘をさして行列です。
どじょうやタニシが見ています。
絵と文章がマッチして、素敵です。


かえるのエルタ
中川李枝子(作) 大村百合子(絵) 福音館書店

男の子はおもちゃのカエルを拾います。「エルタ」と名付けて、一緒に遊びます。
あるとき、雨にあたったエルタは、なんと本物のカエルになったのです。
エルタは、島にある「カエルのお城」へ連れて行ってくれるのですが……


カエルのまえはオタマジャクシ

成長段階のオタマジャクシにも注目!


おたまじゃくしのチャム
竹中マユミ(作・絵) 偕成社

おたまじゃくしのチャムは、自分が何になるのかとても楽しみにしています。少しずつからだが変わっていくたびに、魚や鳥になりたいなどと思います。チャムの想像力がふくらんでいくとともに、チャムは大人になっていくのです。


アルマくん かえるになる
片山令子(文) 広瀬ひかり(銅版画) ブロンズ新社

おたまじゃくしの尾っぽが残ったアルマくん。うまく泳ぐことができずにいます。ガマ先生がやってきて、やさしく教えてくれます。尾っぽが残ったお仲間のキーヨくんとルビーちゃんも一緒にレッスン開始。
「ゆっくりだっていいんだよ」ガマ先生のやさしい言葉は、アルマくんたちにも私たちにも励みになる、しみわたる言葉です。


カエルくん ハイ、ポーズ!

絵にしてみるとかわいいカエルですが、写真で見るとちょっと…という人もいるのではないでしょうか。かわいい小さなカエルからグロテスクなカエルまで、さまざまなカエルがいます。知らなかったカエルのあんなこと、こんなことを写真絵本で学んでみましょう。


川のカエルと生きものたち
松橋利光(写真・文) アリス館

川に住むカジカガエルを観察・記録。川には、ほかにもたくさんの生きものたちが、息づいています。自分の目でいま見ているような感覚の写真と文章で楽しめる、そして、かしこくなれちゃうかもしれない作品です。


ずら~りカエル ならべてみると…
高岡昌江(作) 松橋利光(写真) アリス館

日本のカエル全43種。だそうです。
表紙でもいろいろなカエルたちがならんでいますが、そのカエルたちの前足や後ろ足、後ろからの写真をことごとく紹介しています。本当に、形、大きさ、色、模様など、さまざまなカエルたち。いろんな視点で観察してみてください。


かえるくんどっちがどっち?
松橋利光(文・写真) アリス館

いろいろなカエルの前、横、後ろの写真。ニホンアマガエルとシュレーゲルアオガエル。トノサマガエルとトウキョウダルマガエル。ツチガエルとヌマガエル。カエルの違いを説明してくれています。カエル当てクイズ。カエル別の持ち上げ方。などなど、カエルのことをとことん知りつくしてください。


いばりんぼうのカエルくんとこわがりのガマくん
松橋利光(文・写真) アリス館

二つの読み方ができる写真絵本です。
左から読むと、冬眠から早く目覚めさせられたカエルくんがモズに見つかってしまいます。ついてないカエルくんは、モズにつかまってしまうのか……
右から読むと、生まれ故郷の池に戻ろうとするガマくんが、タゴガエルにくっつかれたり、ヒルにくっつかれたり、と大変な思いをしていくおはなし。


いきもの絵日記1 かえるといっしょ
松橋利光(文・写真) こばようこ(絵) アリス館

「川のかえると生きものたち」「ずら~りカエル ならべてみると」「かえるくんどっちがどっち」「いばりんぼうのカエルくんとこわがりのガマくん」の写真を撮っている松橋利光さん。カエルや生きものを飼育し始めたころからのおはなしが満載。写真や絵も魅力たっぷりです。カエルについての新発見もあるかも。
少年時代にワクワクしながら、好奇心100パーセントで生きものたちを見つめていたんだろうなって思えてきて、なんだか羨ましいです。


かえるはケロケロ

カエルの人形、ぬいぐるみ、キャラクターなど、カエルをモチーフにしたものはたくさんあります。人それぞれ、お好きなものがおありのことと思います。

カエルと言ってまず思い出すのが、”ケロヨン”です。

ケロヨン

ケロヨンとは、
1966年~1970年放送、TV「木馬座アワー」(日本テレビ系)の中の
『カエルのぼうけん』の主人公のカエルの着ぐるみです。
影絵作家の藤城清治さんが生み出したキャラクターです。

※ 薬局の前にある医薬品メーカーのキャラクターと混同されている方も多いようです。

藤城清治さんの作品を一つご紹介。

天の笛
斎藤隆介(作) 藤城清治(絵) 佼成出版社

雪に覆われ凍土と化した大地。鳥たちは、生きていけない。燕は最期に「太陽のカケラ」の話をして逝った。ひばりは、みんなのために太陽へと向かって行く。命と引き換えの過酷な決断をしたのだ。空の高い高いところにある太陽のカケラをくちばしにくわえて、落ちて来たひばり。ひばりの命は果てたけれど、大地にはあたたかな光が広がりだした。そして、聞こえてくる、ひばりの天の笛。命がけで吹いた、ひばりの笛の音。


さて、

さて、最初にご紹介した「かえるの天神さん」のお仲間です。

かえるの平家ものがたり
日野十成(作) 斎藤隆夫(絵) 福音館書店

琵琶を鳴らしながらガマガエルのがま爺さんが、源氏かえると平家ねこの源平合戦を語り聞かせます。アオガエルが目だまの光る化け物に背中をきりつけられると「平家ねこの仕業」だとされてしまいます。そして、合戦が火ぶたを切ったのです。
一万匹のカエルが平家ねこにやれれてしまうと、ねこの弱点を突く戦法でやり返します。
源氏側には、カジカガエルの”牛若丸”がいて、平家ねこは戦の終わりには”平家蟹”になる。
かえる絵巻をお楽しみください。


かえるの竹取ものがたり
俵万智(文) 斎藤隆夫(絵) 福音館書店

おじいさんが、光る竹の中から小さな女の子を見つけました。かぐや姫と名付けた女の子は国中の評判になるほど美しくなりました。求婚者が大勢押し寄せてきます。自分の望むものを持ってきた人となら、とは言うものの、それは無理難題のオンパレード。
身分の高い方々も一生懸命に取り組みます。それらのエピソードが、今ある言葉の由来となるものとして語られています。
「天神さん」「平家物語」と同じく、斎藤隆夫の絵の素晴らしさを堪能してください。


カエルの豆豆知識

•カエルの種類 世界では約6500種。日本には43種のカエルがいる。

ヤドクガエル 世界一の猛毒をもつカエル
 •ヤドクガエル科ー9属200種以上 
         北米大陸南部から中南米にかけての熱帯雨林に生息
 •最大種ー6㎝程度の小型のカエル 背中から強い毒液を分泌する
 •毒ーアルカロイド系の神経毒 猛毒のバトラコトキシンなど数種類の毒成分を含む
 
ヒキガエル(ガマガエル、イボガエル) 毒をもつ日本のカエル
•体長ー最大18㎝になる大型種 (日本の固有種では最大のカエル)
•毒ーブフォトキシンなどの強心ステロイド
   神経系の毒で麻痺や幻覚を引き起こし、目に入ると炎症を起こす  
•後頭部の耳腺から強力な毒液を出す 皮膚、背中のイボから白い有毒の粘液を分泌

※注意:他にも毒をもつカエルはいます。むやみに触らないようにしてください。

かえるのめだまはどこにある~

カエルと言えば、特徴的なのが目だまですね。前から見ても後ろからみても「カエル」とわかるのが、カエルの目だま。


カエルの目だま
日高敏隆(作) 大野八生(絵) 福音館書店

トノサマガエルが自分の目だまを自慢します。そこに、ギンヤンマがやってきて、自分の複眼を自慢します。ミズスマシも目だまの自慢です。だれの目だまが一番か。さて……
さまざまな生き物たちの歌ものがたりをお楽しみください。

作者の日高敏隆(1930年2月26日-2009年11月14日)さんは、動物行動学者、理学博士。
岩波書店で働きながら研究をしていた頃があり、その縁でこの作品の元となる原稿を1951年に岩波労組の機関紙に掲載したことがありました。その原稿が発見されたことにより、学生時代の作品が半世紀以上を経て2011年5月の刊行となったのです。


かえるが二匹おりまして

にひきのかえる
新美南吉(作) 鈴木靖将(絵) 新樹社


2ひきのかえる
にいみなんきち(著者) しまだ・しほ(絵) 理論社

「にひきのかえる」と「2ひきのかえる」は、新美南吉の同じ作品です。
新美南吉が昭和10年、21歳の時の作品です。

緑色のカエルと黄色のカエルが出会い、互いの色を「汚い」となじり合い取っ組み合いのケンカになります。一陣の冷たい風が吹いて、二匹は冬の到来を察知。ここはひとまず冬眠をして、春になったらケンカの続きをしようとなります。その春が来て冬眠から覚めた二匹。
ケンカの続きの前にからだの泥を落とそうと黄色のカエルが提案。「ラムネのようにすがすがしい」池の水に飛び込む二匹。からだを洗った後、緑色のカエルは目をぱちくりさせて黄色のカエルに言うことには……。さて、二匹はこのあとケンカの続きをするのでしょうか。


最後に

カエルがピョンピョン、ここまで来ました。
最後は新美南吉さんの絵本になりました。
「カエルの目だまはどこにある~、お前の目だまはどこにある~」とくれば、カタツムリ。
次は、新美南吉さんの作品にもある「でんでんむし」をご紹介します。

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