🌳せみ

せみ

せみの絵本

セミ

ショーン・タン(著) 岸本佐知子(訳) 河出書房新社

セミは、
灰色の背広を着ている。だれ(ニンゲン)よりも働く。
会社のトイレを使わせてもらえない。
家賃が払えないから、会社の壁の隙間で暮らす。

ニンゲンは、
セミほどに働かない。セミをバカにする。いじめる。

セミが働きはじめて、17年が経ちました。
ニンゲンのボスは「使った机を拭いていけ」と、セミに言う。

セミは、
灰色の長い階段を上って行きます。ビルの屋上の縁に立ちます。
こちらに向けた背が、割れます。赤い色が印象的です。
そして、続くシーンは、壮観 !

セミは、ときどき、ニンゲンのことを考えるそうです。

一矢報いた感のあるセミの言葉に、こちらもニヤリ、です。

トゥク トゥク トゥク トゥク 


作者のショーン・タンさんは、
「素数ゼミ」のドキュメンタリー番組をみて、セミの生涯に興味をもったそうです。

灰色のビルを見上げて窓のひとつに赤い花瓶と生けられた花を見つけたときの感慨や、日本を訪れたときの思いなど、作者が抱くたくさんの思いが凝縮されて完成した絵本です。

緻密な絵が表現する世界。その奥深くまで、味わうことが可能です。

周期ゼミ

周期ゼミとは、

昆虫綱半翅目セミ科マギキカダ属Magicicadaの総称。

毎世代が正確に17年周期または13年周期で大量発生します。

ほぼ毎年どこかで発生していますが、全く発生しない年もあります。

周期年数が素数であることから、「素数ゼミ」とも呼ばれています。


周期ゼミ

北アメリカにのみ分布しています。主に東部。

北アメリカには、周期ゼミ以外にも、100種以上のセミが生息しています。


周期ゼミの発生理由は、

ロイドとダイバス(Lloud & Dybas) が「周期的発生、素数年発生の適応的意義について」最初に指摘しました。

「素数年での同時発生は、数年周期の生活環をもつ捕食者や寄生虫 が同期して発生する可能性を抑えられるためではないか」

(そのために一番効率のいい周期年数が13年と17年だったのでしょうね)


生物学者の吉村仁さんは、
氷河期と成長速度を関連付けて、説明しました。

「他の周期をもつ種と交雑するとその周期が乱れるため、同じ周期を維持できなくなる。したがって、交雑種は、大量発生年からずれて発生するようになり、希釈効果を受けられなくなる。または、配偶相手を見つけにくくなる。そのため、最も他の周期と重なりにくい素数周期のセミが生き残った」と、しています。

   希釈効果とは、
     常に群れを作り、自分が捕食される可能性を低くしようとすること。
     (単独ではなく群れになれば、自分が狙われる確率が減ります。
     そこに弱者や劣った個体がいてそれらが捕食されれば、自分の生存の
     確率が増すことになります)

『素数ゼミの謎』
 吉村仁(著) 石森愛彦(絵) 文藝春秋(2005年刊行)
「素数ゼミ」の秘密が、日本人科学者・吉村仁さんにより初めて解き明かされます。「難しいことはちょっと」という方にも、お子さんにも、やさしく教えてくれる本です。是非、読んでみてください。

17年ゼミのいろいろ

オノンダーガ族
 オノンダーガ族とは、イロコイ連邦のインディアン部族のひとつ。
 17年ゼミを伝統食としています。

 地上に出てきた空腹のセミを集め、フライパンでバター炒めにするそうです。
 (ポップコーンのように弾けるそうです)

 イロコイ連邦
   アメリカ合衆国ニューヨーク州オンタリオ湖南岸とカナダにまたがった保留地。
   そこに居住する6つのインディアン部族により構成される、連邦国家。

プリンストン大学
 プリンストン大学の近くに、17年ゼミの森があります。
 1970年6月9日、17年ゼミが大量発生。
 その日、ボブ・ディラン(米・ミュージシャン)が大学を訪れていました。
 大学中にあふれるセミの大合唱を聞いた彼は、曲を制作したそうです。
 ♪「Day of the Locusts」(セミの鳴く日) (『新しい夜明け』に収録)  

      「周期ゼミ」
        (2021年2月14日(UTC)「ウィキペディア日本語版」を参考にしました)

素数

“素数ゼミ” の “素数

素数(prime number)

素数は1より大きい自然数で、正の約数が1と自分自身だけのもの。

すなわち、正の約数が2つである自然数。

ちなみに、1より大きい自然数で素数でないものは、「合成数」と言います。


•「2」以外の素数は奇数で、「奇素数」と言います。

• 100位下の素数は、25個。
 2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47、53、59、61、67、
 71、73、79、83、89、97。

• 1000位下(含む100以下) の素数は、168個。

•「素数が無数に存在する」ことは、古代ギリシア時代から知られていました。
  紀元前3世紀頃に書かれたユークリッドの「原論」で証明されていました。

  • ユークリッド
    アレクサンドリアのエウクレイデス。
    古代エジプトのギリシャ系数学者、天文学者。
   「幾何学の父」と言われている。

• 素数の覚え方(語呂合わせ)

 100以下の素数の場合 (2~97)

兄さん(2,3) 5時に(5) セブンイレブン(7,11) 父さん(13) いいなと(17) ついていく(19) 
兄さん(23) 買った肉を(29) 裂いて(31) みんなで食べたら(37) 41円しか(41) 予算がない(43)
しなった顔で(47) ごみ拾い(53) ゴクっと飲んで(59) 六井さんが(61) むなしく(67) 
泣いた(71) ナミが(73) 泣く泣く(79) 破産した(83) 白紙に戻した(89) 宮内庁(97) 

 2~31までの場合 

兄さん(2,3) 5時に(5) セブンイレブン(7,11) 父さん(13) いないけれど(17) 行く(19) 
兄さん(23) 肉持って(29) サーティーワン(31)

エラトステネスの篩

エラトステネスの篩」とは、エラトステネスが考案した素数判定方法。

エラトステネス(Eratosthenes)
  紀元前275年ー紀元前194年頃。
   ※生歿年については、文献によりばらつきがあります。

  ヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者。

  ムセイオン (mouseion) の館長を務めた人です。
   • ムセイオンは、「museum」(英語で”博物館”や”美術館”)の語源。   

   • ムセイオンとは、古代ヘレニズム世界における学堂。
    本来は古代ギリシャで信仰された学術・芸術の女神「ムーサイ」の祀堂だったものが
    学堂として発展したといわれる。

     ※「ムーサイ(musai)」は、ムーサ(musa)または、ムサの複数形になります。
      英語、仏語のミューズ、ミューゼズ(muses)。

   • ムセイオンは、複数の研究機関の集合体であり、各所に創建されました。
    そのなかで特に有名なのが、プトレマイオス朝エジプトで、プトレマイオス1世がア
    レクサンドリアに設立したものとなります。

    その付属機関のひとつに「アレクサンドリア図書館」があります。
    この図書館は、古典古代(古代ギリシャ・ローマ時代の総称)世界における最大で最重
    要な図書館でありました。
    このアレクサンドリア図書館は、5世紀はじめに破壊され消滅してしまいました。


    現在、「新アレクサンドリア図書館」が存在します。
    ユネスコとエジプト政府が共同で建設し、2002年に完成しました。
    『古代の「アレクサンドリア図書館」を記念する、現代の図書館・文化センター』
    として、人気の観光スポットです。

     「新アレクサンドリア図書館」をご覧ください。
        (2021年3月6日(UTC)「ウィキペディア日本語版」を参考にしました) 


「エラトステネスの篩」の実践
     
  数表を作り、合成数をふるいにかけるように落としていくと、任意の正の整数を越えな
  い素数の一覧を得ることができます。

 ここでは、例として1~40までを考えてみます。
  ● 最初に最大値の40についての “√40” を考えてみます。
    [√40=6.324……] となります。
     6<√40<7 
    • √40は、6と7の間にある数ということになります。


  ● では、ふるい落としの作業にはいります

  1.「1」は素数でないので、落とします。
  2.「2」を残し、2の倍数(2から2つ目ごとの数)を落としていきます。

12345678910
11121314151617181920
21222324252627282930
31323334353637383940

  3.次の「3」を残し、3の倍数(3から3つ目ごとの数)を落としていきます。

12345678910
11121314151617181920
21222324252627282930
31323334353637383940
3の倍数は「6,9,12,15,18,21,24,27,30,33,36,39」

  4.「5」を残し、5の倍数を落としていきます。

12345678910
11121314151617181920
21222324252627282930
31323334353637383940
5の倍数は「5,10,15,20,25,30,35,40」

  5.次に「7」が残っていますが、7は√40を超えていますので、ここで作業は終わ
    りになります。
  6.結果。
    [1~40]の素数は、下表の青い数字で表示されています。 

12345678910
11121314151617181920
21222324252627282930
31323334353637383940

  2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37となります。

ディオファントス

ディオファントス(Diophantus)
 生没年は不詳で、200年-214年~284年-298年と推定されています。
 250年頃にアレクサンドリアで活躍した、ギリシャの数学者。
 「代数学の父」とされています。
 著書の「算術(Arithmetica)」(13巻) が有名です。

• ディオファントスの生涯については、よく知られてはいません。
しかし、
「ディオファントスの墓碑銘」に刻まれた”その一生” はよく知られるところです。

               ディオファントスの墓碑銘

一生の6分の1は少年
12分の1より後にひげがのび
7分の1が過ぎて結婚
5年が過ぎて息子が誕生
息子は父の2分の1を生きた
父は4年が過ぎて生涯を終えた

上記の墓碑銘から、ディオファントスの年齢(一生)を割り出してみます。
ディオファントスの年齢をxとし、その数式は以下のようになります。

x=1/6x + 1/12x + 1/7x + 5 + 1/2x + 4
x= 84
結果、ディオファントスの生涯は、84年であったことになります。

エラトステネスとディオファントス。
エラトステネスの次に、なぜ、ディオファントスかと言いますと、
NHKのEテレの番組「2355」が関係してくるのです。
この二人はこの番組で「歌」になっているのです。
是非、ご覧になってみてください。
とっても、いいです。

アレクサンドリア

アレクサンドリア

 紀元前334年~紀元前323年
  マケドニア王国(ギリシア) のアレクサンドロス3世(大王) が、たくさん建設した都市。

   トロアスのアレクサンドリア、
   キリキアのアレクサンドリア、
   アーリアのアレクサンドリア、
   カウカッソスのアレクサンドリア、など他にもあります。

そのなかのひとつが、
エジプトのアレクサンドリア(Alexandria)
  
 エジプト(Egypt)は通称。(漢字表記は「埃及」)
   公式の国名は「エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt) 」(1971年~現在) 
   首都はカイロ。
   アレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第二の都市。
 
  • エジプトのアレクサンドリアは、
  大王のエジプト遠征直後(紀元前332年) にナイル河口に建設された。
  大王の死後の対立のなか、プトレマイオス1世ソテルが大王の遺体をここに埋葬した。
  プトレマイオス1世はエジプトにプトレマイオス朝を樹立。
  アレクサンドリアを首都とした。
  人口100万人を超えたともされ「世界の結び目」と呼ばれた。

  アレクサンドリアは平坦な土地であったため、陸標となる灯台が構想された。
  灯台はファロス島に建造されることになった。
  ファロス島とアレクサンドリア港との間は、人工通路で結ばれた。
  紀元前305年頃に着工され、完成はプトレマイオス2世の時代。

  その灯台が、世界の七不思議のひとつとされる
  「アレクサンドリアの大灯台」

世界七不思議

世界七不思議とは、7つの注目すべき建造物のこと。

古代の地中海地域と中東の建築・彫刻から、傑出した7つが選出された。

現在、「世界七不思議」とされるものは、
『古代世界の七不思議』とされてきたものがあてられています。

七不思議を選んだ人たちの何人かを挙げてみると、
  • シドンのアンティパトロス(紀元前2世紀後半~紀元前1世紀初)
   古代ギリシアのエピグラム詩人
   作品は「パラティン詞華集」「ギリシア詞華集」に収録されている。
   シドンは、古代フェニキアの都市国家。

  • ビザンティウムのフィロン(紀元前260年~紀元前180年)
   古代ギリシアの数学者、旅行家
   ビザンティウムは、東ローマ帝国の首都。

  • ストラボン(紀元前64年/63年~24年頃)
   古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家・哲学者
   著書に全17巻の「地理誌」

  • ヘロドトス(生没年不詳 ?紀元前490年/480年~紀元前430年/420年?)
   古代ギリシアの歴史家
   著書に「歴史」(古典古代の歴史書中の最古のもの)
   「歴史の父」と言われることもある。

  • シケリアのディオドロス
   古代ギリシアの歴史家
   著書に「歴史叢書」
   シケリア(シチリア) 島で生まれたが、その後の生涯は不詳。

などですが、一般に周知されているのは、
「古典古代の七不思議」であり、以下の7つになります。

1、ギザの大ピラミッド
2、バビロンの空中庭園
3、エファソスのアルテミス神殿
4、オリンピアのゼウス像
5、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
6、ロドス島の巨像
7、アレクサンドリアの大灯台

他に、「バビロンの城壁」「エルサレム神殿」「ローマのコロセウム」があり、
七不思議の組み合わせは、多様です。


1、ギザの大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)
 (または、クフ王のピラミッド(Pyramid of Khufu or Pyramid of Cheops))

  エジプトのギザに建設された。
  七不思議のなかで、現存する唯一の建造物。
  完成時の高さは、146.94m。
   (イングランド東部リンカンシャー州のリンカン大聖堂(中央塔)が14世紀に建造され
    るまでは、世界一の高さを誇っていた) 
  ピラミッドの寸法は、
    現在の高さ・138.74m。
    底辺・230.37m。勾配・51度50分40。容積・約235.2万㎥。
  平均2.5tの石灰岩を約270万~280万個積み上げられたとされる。
  王の間には、1個が60t超の花崗岩が多数使用された。
  石灰岩は、ピラミッドの500m手前の石切り場のものとされる。
  ピラミッドの建造には、4000人が作業にあたった。
  作業員のための街が作られ、そこには2万人以上が生活していた痕跡がある。


2、バビロンの空中庭園(Hanging Gardens of Babylon)

  古代都市バビロン(現在のイラクのバービル県ヒッラ付近) に建設されたとされている。
  七不思議のなかで、存在した位置が確定していない唯一の建造物。
  バビロンの吊り庭園とも言われる。
  「空中」とあるが、高台に作られたもの。
  
  バビロニアの史料に、この空中庭園に言及するものは無い。
  考古学上の証拠もない状態。


3、エフェソスのアルテミス神殿(Artemisium(ラテン語))

  エフェソス(現在のトルコ)に、紀元前7世紀~紀元前3世紀にかけて存在した。
  現在は、その原型をとどめず。
  アルテミスを奉った総大理石の神殿。

   ※アルテミス
     ギリシア神話の狩猟・貞潔の女神。アポローンと双子。
     セレーネーと同一視され、後に月の女神とされた。
     ヘカテ―とも同一視され、闇の女神とされた。
     このため、三通りに姿を変えるものだとも考えられた。

  1869年12月 深さ4m半の泥の中から神殿跡が発見された。
        ジョン・ウッド(英人技師) 率いる大英博物館の考古学探検隊が、発見。
        発見された円柱の断片などは、大英博物館に所蔵されている。

  「ヘロストラトスの名誉」
    紀元前356年7月21日 ヘロストラトス(若い羊飼い) が、神殿に放火。
               破壊された。
    放火の動機ー「どんな犠牲を払っても、名声を得たかった」
       ➡このことから、生まれた言葉が「ヘロストラトスの名誉」
        「つまらないことや犯罪などで、自分の名前を有名にしようとする人」
         のことをさして言う。

 大王(アレクサンドロス3世) は、この放火のあった日に生まれた。
   大王は後に、この神殿の再建費用の支払いの申し出たが、エフェソスの人々が拒否。
   
   最初の神殿は、紀元前700年頃に建造された。その後、破壊・再建を繰り返す。
   紀元前323年(大王の死後) に再建された神殿は、三度目の神殿。

 プリニウス(大プリニウス)
  古代ローマの博物学者、政治家、軍人。
  著書に、自然界を網羅する百科全書「博物誌」がある。

  このプリニウスによると、
   神殿の広さは、縦115m、横55m、高さ18m。
   イオニア式の柱が127本。
   アルテミス像は、高さ15m、木製。
   像の顔と手足の先以外は、黄金・宝石で飾られていた。
   
   「マウソロスの霊廟を手掛けたスコパス(古代ギリシアの彫刻家・建築家) が、
   神殿の柱に浮き彫りを施した」と、プリニウス。


4、オリンピアのゼウス像

紀元前435年 ペイディアス(古代の高名な彫刻家) により建造。

オリンピアにゼウス神殿が建造され、その奥にゼウス像(座像)は収められた。
天空神ゼウスの大きさは、
  全幅は、神殿の通路の幅と同じくらい。
  座像の全長は訳12m。
本体は、杉。表面を象牙で覆う。
乾燥防止のため、表面にオリーブ油を塗っていた。
座席は、金、象牙、黒檀、宝石で飾られていた。
右手に勝利の女神ニケの彫像、左手に鷲が止まった錫杖を持っていた。

  ※オリンピア
     ギリシアのペロポネソス半島西部の古代ギリシアの都市。
     古代オリンピックが開催された場所。
     数多くの遺跡が残る場所でもあり、1989年に世界遺産に登録。

 394年(建造から800年後)
  ゼウス像は、オリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルに移された。
  その後の消息は不明。焼失したとされている。

 1958年 ゼウス像の建造をしたと考えられる工房が発生された。
      これにより、像の全容解明が進められた。


5、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

 マウソロス霊廟(Tomb of Nausolus) は、紀元前353年~紀元前350年に建設された。

 カリアを支配したヘカトムノス朝のマウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するた
 めに建造された霊廟。

 「マウソレウム」(英・mausoleum) は、ヨーロッパ圏で使用される言葉で、「巨大な墓」
 を意味する。この言葉は、”マウソロス霊廟”に由来する。

  ※カリア
    アナトリア半島南西部の古代の地名。
    現トルコのアイドゥン県、ムーラ県一帯に相当。

  ※ヘカトムノス朝
    紀元前4世紀頃に、カリアを支配していた家系。
    アケメネス朝により任命されたサトラペス(属州総督) だが、世襲を行い疑似的な王
    朝となった。
    第2代のマウソロスが特に有名。

 マウソロスは、カリア国の首都をハリカルナッソス(現トルコ共和国ボドルム) に置いた。
 24年間、ハリカルナッソスと周辺地域を支配した。

  ※ハリカルナッソス
    アナトリア半島(小アジア) のカリアの南西海岸にあった貴台ギリシア都市。
    アレクサンドロス3世がアケメネス朝ペルシアと戦った場所。 

 紀元前353年のマウソロスの死去後に、アルテミシアが夫のために建造したとされる。
 (しかし、建造はマウソロス存命中に行われたと考えられている)
 マウソロスの死後3年、アルテミシアの死後1年にあたる紀元前350年に完成した。

 アルテミシアは、マウソロスの妻ですが、妹でもある。
 カリア国では、統治者がその姉妹と結婚するのが慣習であった。
 「家族内の力・富を維持する」ことが理由の一つ。

 紀元前334年 アレクサンドロス大王により町が陥落。
 紀元前60年前後 海賊の襲撃を受けた。
 このようなことがあっても、霊廟は被害を受けなかった。
 1600年もの間 霊廟は、廃墟となった町を見下ろすように建ち続けた。
 しかし、度重なる地震で崩壊。
 1404年 土台だけとなった。

 霊廟にあった彫刻などは、現在、大英博物館に収蔵されている。


6、ロドス島の巨像(Colossus of Rhodes)

 紀元前3世紀頃 エーゲ海南東部のロドス島に建造された。
 紀元前284年に完成した。着工から12年後のことだった。

 巨像は、太陽神へ―リオスをかたどった彫像(コロッサス)

  ※へ―リオス
    ギリシア神話の太陽神。ギリシア語で「太陽」を意味する。 

  ※コロッサス
    英語で巨大な彫像のこと。
    
 彫像の大きさ
  全長34m。台座まで含めると約50m。
  現在のニューヨークの自由の女神像に迫るサイズです。

  ※🗽自由の女神像(Statue of Liberty)
   正式名称は
    「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the world)」
    女神像のサイズは、
     台座が47m。足元からトーチまでが46m。   
     したがって、地上からトーチまでの全長が93m。(47+46=93) 
     (足元から頭までは、33.86m)
     総重量は225t。
   右手には、トーチ(たいまつ)。
   左手には、銘板をもっている。
    「1776年7月4日」とローマ数字で刻印されている。
     この日はアメリカ合衆国の独立記念日。

 紀元前226年(完成から58年後) ロドスで地震が発生した。
  巨像は膝から折れて倒壊した。

  • プトレマイオス3世が巨像再建の資金提供を申し入れた。
   しかし、ロドスの住民は、拒否した。
   住民たちは、巨像を神に似せて作ったことが神の怒りに触れたと考えた。

  • 倒壊した巨像は、その後800年間、放置された。

  • 645年 ムアーウィアの軍がロドスを征服。
   巨像の残骸は、エデッサの商人に売却された。
   商人は、巨像を青銅のスクラップにした。
    商人たちは、イスラム教徒であり、偶像崇拝をよしとしなかった。

    ※ムアーウィア
      イスラム教の5人目のカリフ(イスラム社会の最高指導者の称号)。
      ムアーウィア1世。 

 ● 伝説
  巨像は消失してしまった。
  7世紀以降の人々は、「巨像」を想像するしかなかった。
  そのため、巨像にまつわる正誤にかかわらずのいくつかの伝説が生まれた。

  伝説① 「巨像は、港口をまたぐ姿勢で立っていた」
    検証 「またぐ」というと、巨像は港口の防波堤の両端に設置された台座があった
       ということになる。
       現在の研究では、その台座に両足を置いたとすれば、巨像の全長が大きくな
       りすぎてしまう。
       そうなれば、耐久性が弱くなり、不可能ではないかとされる。

  伝説② 「巨像は手に器を持ち、中には煮えた油や鉛が満たされていた」
      不法侵入してくる船に対し、内部のからくりが働き、器が傾き熱い油などを船
      に注ぎ落した、とされる。


7、アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)

紀元前3世紀頃 エジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。
「ファロス島の灯台」「アレクサンドリアのファロス」などとも呼ばれる。

 • ビザンチウムのフィロンの選出した「七不思議」には含まれず。
   
   ※ビザンチウムのフィロン(紀元前260年ー紀元前180年)
      古代ギリシアの数学者・旅行家
      紀元前225年頃に「世界の七不思議」を提案したとされる。
      フィロンは「七不思議」に “アレクサンドリアの大灯台” は入れずに、代わりに
      ”バビロンの城壁” を入れていた。

      
      ※バビロンの城壁
         新バビロニア王国の首都バビロン(Babylon) を取り巻く城壁。
         高さ90m。厚さ24m。総延長は数十㎞。
         100の門(有名なのはイシュタル門)と250の塔があったとされる。

         「バビロンの空中庭園」と同一視されたためか、後世になり「アレクサ
          ンドリアの大灯台」と差し替えられた。 
     

 • 1303年と1323年の二度の地震で全壊したが、「七不思議」のなかでは、
 ”ギザの大ピラミッド” “マウソロス霊廟” に次ぐ、長命な建造物だった。


アレクサンドリア(カイロに次ぐ二番目の都市)

 紀元前332年 アレクサンドロス3世によりナイル河口にアレクサンドリアが建造された。
 アレクサンドロスの死後、プトレマイオス1世の統治下に置かれた。
 プトレマイオス朝は、アレクサンドリアを首都とした。
 アレクサンドリアは、平坦な土地であった。
 そのため、陸標となる灯台の建造が計画された。
 建造地は、ファロス島
 ファロス島とアレクサンドリア港との間は、人工的な通路で結ばれた。
 紀元前305年から工事が始まり、完成を見たのは、プトレマイオス2世の代となった。

• 灯台の大きさ
 全高は、約134m。
 (“ギザの大ピラミッド”(147m) を除くと、建造当時は地球上で一番高い人工物の1つ)
 大理石で作られた。
 頂点には鏡が置かれた。
 その鏡に、日中は陽光を反射させ、夜間は炎を燃やして反射させた。
 灯台の内部には、らせん状の通路があった。
 その内部を、ロバに薪を積んで運ばせていた。


• カーイト・ベイの要塞
 1480年頃 灯台の消失した跡地に、灯台の残骸を利用して建造された。
 
  796年の地震で半壊、1303年と1323年の地震で全壊したアレクサンドリアの大灯台。
  15世紀後半 マムルーク朝のカリフ、アシュラフ・カーイトバーイ(エジプトを支配した
        ブルジー・マムルーク朝の第19代スルタン) が建設した要塞。
  その名前が施設の名称となった。
  現在は、軍事博物館として一般公開されている、人気観光地。

• 灯台の遺跡
 1968年 海底から、灯台の一部とみられる遺跡が発見された。
     しかし、この区域は軍事上の理由から調査は保留となった。
 
 1990年代初頭 フランスの調査チームが調査を開始。
 1994年 遺跡と断定できる柱や彫像などを発見。
 
 その後、衛星調査などにより、さらに解明が進んだ。

      


21世紀までに行われた発掘調査の結果、
 「マウソロス霊廟」「アレクサンドリアの大灯台」「アルテミス神殿
  については、遺跡や残骸が発見された。

 「オリンピアのゼウス像」「ロドス島の巨像
  については、その痕跡の発見は今のところない。

 「バビロンの空中庭園」は、実在が証明されていない。

 「ギザの大ピラミッド」だけは、現存している。しかし、その表面はほぼ喪失状態。

中世と現代の七不思議

中世の七不思議
 時代が進んで行くと、ヨーロッパ人の地理的知識が広範に及び、選出の範囲は世界中に。
 そして、一般に挙げられている「中世の七不思議」は、以下になります。

1、ローマのコロッセウム
2、アレクサンドリアのカタコンベ
3、万里の長城
4、ストーンヘンジ
5、ピサの斜塔
6、イスタンブールの聖ソフィア大聖堂
7、南京の大報恩寺瑠璃塔

※1~6は現存するが、7は実在しない。


現代の七不思議

「新世界七不思議財団」(New7Wonders Foundation 、スイス) が、世界に投票を呼びかけ、
2007年に選出された、「現代の七不思議」です。

1、万里の長城 (中国)
2、ペトラ   (ヨルダン)
3、コロッセオ (イタリア)
4、チチェン・イッツァのピラミッド (メキシコ)
5、マチュ・ピチュ (ペルー)
6、タージ・マハル (インド)
7、コルコバードのキリスト像 (ブラジル)


「世界の七不思議」 Seven Wonders of the World

 英訳では、wonder(s) = 驚嘆すべきもの、賞賛すべきもの
 ですが、日本語訳では、 
「世界の七不思議」となってしまいました。
  
そのために、この不思議が、”存在がありえない” “建造可能であるはずがない”、
と解釈され、七不思議の実像が誤解されることも起きてきました。

「世界の七不思議」は、
 古代から現代までにおいて、その時代の人々を驚嘆させてきた建造物であり、
 目にしたことない者に、とてつもない興味を抱かせます。
 ピラミッドが唯一現存している。凄いです。

ピラミッド


 




 
  
 

   

  


 

「素数」(2021年2月18日(UTC)「ウィキペディア日本語版」を参考にしました)

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